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2008年7月

2008年7月24日 (木)

為せば成る、なんとかなる-岐阜-

北海道から名古屋までの1日半のなが~い船旅を経て、

7月18日無事、岐阜に帰ってくる事が出来、自由気まま約1週間を過ごしていました。

でも旗を掲げ終えた時からずーと次は何しようと考えていました、

でも北海道にて出会った人たちによってなんとなく答えは見つかりつつあって、

それは自分のやりたいことが仕事になりつつあるんだけど、他にも道はあるわけで、それは自分の夢までに本当に近づく道なのかな?って考えてしまって、

今日久しぶりにPCさわったらある意味もう見ても意味ないようなこのブログをまだ見て下さってるあなた方がみえて、、、ガンバローって思えました。

感謝です、本当に。

この夏、旗のこと1回くらい岐阜か名古屋とか地元で伝えてから、地元離れて、最低限生きていけるだけのお金もらって、将来の保障ない、でも一番やりたい事をやりにとある田舎へ行こうかなーって思ってます。

すごく不安だけど、まずはやってみようかなーって思ってます。

次の事決まり次第、何かありしだい、報告します!

次の道までもう少し、もう少し見守ってください。

(写真・旅中みつけたベターな言葉、でも大事なことだなーって思う言葉)

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2008年7月13日 (日)

なまら次に進みたい-北海道-

「なんかね聞いた話によると自転車で環境メッセージ集めた人明日発売のAERAっていう雑誌に少しだけ載るらしいよ!」

「そうなんだ、でも何かさぁー調子のってるんじゃない?」

「でもその人つい最近まで洞爺湖町のお世話になった人の畑手伝ってその人たちとジンギスカン食べたり、取れたての野菜を畑でかじったりして北海道の大自然を感じてるらしいよ。自分では雑誌に載せてもらう程の事してないと思ってるみたいでね」

「そうなんだ、でもなんやかんやいっても幸せなやつだね~」

「幸せは幸せなんだけどね、しばらく休む予定だったのに、もう次のスタート地点見つけたくてイライラしてんだって。」

「帰りはどうすんの?」

「7月20日に友達の結婚式があるからそれ出る為に船で帰るんだって」

「でもさ、お世話になった人のとこ回らなくていいの?」

「もう少し落ち着いて少しお金できたらみんなに旗掲げてる写真付きで手紙送るんだって!申し訳ないけどいつか必ず会いにいくし、会った時にもっと成長してたいからとか言ってたけど…カッコつけてるよね?」

「なまら(=とても)カッコいい大人めざしてんだよ、そいつ!」

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2008年7月 9日 (水)

旅を終えて②-北海道・洞爺湖-

旅を終えて②旅を通して感じた事

バイトで行った沖縄で子供達の笑顔を見て、屋久島でもののけ姫の舞台となった自然に会いに行ったが屋久杉ももののけ姫の森も屋久島自体が本当にいつまでも残したいなと思うものだった。環境のこと伝えなきゃって強くおもった。

鹿児島はまだ寒く高校生の女の子が僕に温かいジュースを差し入れしてくれた。高校生でそこまで気が使える子がいるんだと思ってビックリした。西郷隆盛が愛した言葉に、「敬天愛人」という天を敬い人を愛すという意味の言葉がある、これが人間にとって凄く大切な言葉なんじゃないかって思った。

しかし、人が人を呼ぶように最初の方は全然メッセージが集まらなかった・・・。

自転車で鹿児島を目指す際、熊本まで202キロという表示を見たときは大丈夫かなって思ったが熊本で立ち寄ったアウトドアショップで自転車旅の基礎を教えてもらい、だいぶ自転車も乗りやすくなった。

しかしメッセージはなかなか集まらなかった・・・更に自転車もきつくて、いつやめてやろうかばかり考えた、しかしここで帰る事も可能だろう。「やっぱり大変やて」と言って笑ってくれる仲間だと知っている、でもそんな自分で帰りたくないという思いと、好きなサッカーやって結果がなかなか出なかったとき時の辛さに比べたらこれくらいと思って自転車をこいだ、気持ちも体力もいっぱいいっぱいの中自転車をこいだ。

途中寄った田舎の小さな銭湯でいろんな人が話しかけてくれた、いつの間にか僕を囲って円のようになって話しかけてくれた。みんな笑っていて、僕もいつのまにか笑っていた。その時気付いた。

相手が笑ってくれているから自分が笑えるんだ、そして自分が笑う事で相手は更に笑ってくれるんだーって。

更にその中のあるおじいさんに「いい時代に生まれたね」と言われて、

この人達は命かけて戦って、働いて、だから僕らはこの国で生きていていられる、だから僕らも環境や平和や貧困という問題と向き合わなければいけないんだ、とも感じた。

それから旗を広げるとき表情を意識を意識するようになった、全然人集まる気配なくても。でもやっぱりどれくらいの期間かかるのかわかんないからって気持ち急いだら進んでいたら疲れ、そんな時に山口のユースホステルのおじさんにもらったメッセージ付きのおにぎりで、

自分のペースで行こう!と思い、少しづつ進んだ。

自分のペースでもちろん頑張るとこ頑張って、笑って楽しみながら行く!

そう感じてから旗にメッセージを書いてもらえる人の数も多くなり、気持ちも前とは比べ物にならないくらい楽になった。

そして、スタートの時に熱く伝えたいと思っていた環境のことがいつの間にかまずは自然に笑って話す事を意識して進むようになった。

山も登りはきついが坂道が気持ちよく、こんなに汚い空気を作り出している人間が今でも空気を吸うと気持ち良くなる。それは自然と、自然を守りたいって思って今まで動いてきた人がいるから。アースデイ東京、高尾山トンネル反対、あさこはうすなどで強く感じた。

生きているなんておこがましい事で食べ物を動植物の命から作り、いろいろなものの支えによって生かされているんだなと。家族や友達の支え含めて。

森、川、海、空気、他の動物、植物など自然って時に繊細で、時に大きくて。ほかっとけば自然って再生するんだから、でも人がさわりすぎると戻らなくなってしまう。

だから今僕らが少しでも地球のことを考えた生活をすれば未来は大きく違ってくると信じている。

だから教育の中で自然は大事なんだよって子供達に伝えてもらいたいし、子供は感じてくれる。子供は様々なことに興味を持ち大きな可能性とパワーを持っているんじゃないかなって思う。

ある時コーヒーを飲みながら休憩をしていると、まだ小さな子供が親の機嫌を伺う姿が見られた。その親は僕が見る限り全然笑わないし、子供を操作しているような感じだった。このパターンこそ子供の力が潰れてしまう原因だと思った。

親が笑っている家族は子供も笑っている。

これ凄く大事な事だとおもって本当にみんなに伝えたい事。

後は、東北ではもちろん自然も見たがいろんな人に出会った。学校に行けない子、体に障害をもった人、NPO・NGOで働きお金じゃないものを求める人、災害が起これば被災地にボランティアで飛んで行く人、海を守る為何億のお金を見せられても立ち退きを拒否する人etc。

でもみんな同じ人間だと言うこと。

つまり、何かが少し違うだけで、誰一人同じ人なんていないけど人間だしましてや同じ国の人だから真似もできるし、話をする事も、気持ちを伝える事も、その人を見て感じる事もできる。自然体でね。

しかし、テントの場所探しとか疲れるし、精神的にきついときもあった。あるとき親に抱えられた赤ちゃんが旗の前を通り過ぎた、ずーっとその赤ちゃんと目が合って20Mくらい先でその赤ちゃんが僕に向かってニコッーとしてくれた。それが「ありがとう」ともいってくれてるようなホントにかわいらしく輝いた笑顔に見えて、うわーやってきて良かったなーってその時凄く強く感じた。

キーワードは『笑顔で動く!』のような気がする、笑顔って僕も得意じゃないし難しいのも知ってる。でもとりあえず笑って動いてみる。そんで相手も笑ってくれて環境のこととか伝えればいいし、笑う事の大切さを知っている人は幸せの法則を知っている気がする。まずは笑う事から全てのものが始まる気がする。全ての人や全ての問題とかは繋がっているし。笑顔は伝えるときも生活する上でも大事だし、それにプラスしてとりあえず動いた事で会った人いろんな人が優しくしてくれて、会うべくしてという感じで偶然にもみんなに会えて、そしてマータイさん・小池さん・野口さんのメッセージまでもらえた。サミットのときも思った、警官だって人間だから本当に首脳達が通るような場所で旗を掲げさせてくれたんだと思う。厳戒態勢の中、警察にも思いが伝わったんだと思うと改めて感動するし。

その人に会えたから一日が幸せな気分で終わる、そんな人になりたいものです。

無事に洞爺湖に辿りつくことができ本当に皆さんに感謝します、ありがとうございました。そして、このブログはもう少し続けようかなと思いますので是非皆様暇なときでいいのでご覧下さい。

(写真、左端にある山の頂上にあるのがサミット会場)

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旅を終えて①-北海道・洞爺湖-

「十人十色」という言葉があるように人はそれぞれ違う。少し違う人もいれば、全く違う人もいる。

だから面白かったり、憎んだり、笑ったり、戦ったり、愛したりすると思う。

でも似た部分とか、共通のものを持ってたりするから繋がって話し合っていけば本当はみんな理解し合えるはずなのだと思うし、そう信じている。

皆さんと同じ島国に生まれ、あるいは同じ島国に生き、その島国に生まれ、生かされている環境活動家?‘さわ’こと僕、サワラギユウイチロウのこの旅のいきさつと旅で感じた事何個かに分けてヘタクソながら一生懸命、言葉にしたいと思います。

旅を終えて①。よくなぜこんな事をしているのか聞かれるが、僕自身もよく「んー」となるから旅をスタートさせるまでをまず振り返ってみたいと思います。

サッカーが大好きで中学2年の夏から部活引退までの一年間、朝3時に目を覚ましボールを蹴る為にゴミを拾いながら中学校のグランドに向かった。ゴミを拾っているのも自主練習しているのもシャイな中学生には何となく恥ずかったから誰もいない時間に家を出て、ゴミを拾い学校に着き4時前からボールを蹴り続けて、朝の7:30から始まる部活の朝練までの時間を過ごした。

じゃあ何でゴミを拾っていたのかと考えると、当時「50年後の地球」というようなタイトルの番組を見てこのままでは地球は危ないと知ったこと、そして同時期に映画「もののけ姫」をみて『まだ終わらない私達が生きているのだから』という言葉を聞いたのが大きかった。でも小学生の頃から何となくオゾン層の破壊とか、地盤沈下とか授業の一つとして少しやった事が何故かひっかかっていた。

誰でも何かひっかかるものってある、それはいつかわかんないし、何かもわかんないし、消えちゃうものかもしれないけど。

しかし、勉強は嫌いだったし、あくまでサッカーのことしか考えてなくてサッカー選手になって一生サッカーやれたらどんなに幸せだろうと思っていた。

中学生最後の大会、僕はレギュラーじゃなかったが背番号10番のユニホームをもらった。全国レベルのチームの中で隠れてやっていたつもりなのに誰よりもボールを蹴っていたことを先生が見ていてくれたし、仲間が見ていてくれた。この時自分のばあちゃんが好きだった相田みつをさんの、

『観音様がみている 佛さまが見ている みんな見ている ちゃんとみている』という言葉が本当だと感じる。

中学生のときはもう一つ大きな事があった、ばあちゃんが亡くなった。小さい頃から今でもよくひび割れする手。会う度にハンドクリームを買ってきてくれた。幼いころ父に怒られ、泣いていたら「ゆうちゃんが泣いていると私も悲しくなる・・・」と言って本当に涙流して泣いてくれた、それが大きな衝撃だったし、本気で相手の身になって感じるということこれが「愛する」という事なんじゃないかなと考え始めたきっかけだった。そんな大事な人が大事にしてくれたカサカサの僕の手で人をだましたり汚すような大人に絶対ならないと決めたのもばあちゃんが亡くなった時だった。

高校受験が嫌でサッカーの推薦があるからと高校に入り18歳の秋、「この三年間ででレギュラーを取れなかったらサッカーをやめる。」と決めて望んだ高校総体は大会直前にベンチからも外され、大きな夢が終わる・・・。

次何しよっかなーって思って考えた結果、純粋に「世界平和」を望む。その為の一つの手段として映像やってみよう!って考える。

専門学校で映像を学び、卒業の時に映像で人に伝えるならいろんな経験しなきゃって事で一年いろんなバイトして、半年カナダに行く。カナダは日本人にとって英語が聞き取りやすいからって事を聞いたから。何せ中学レベルの英語もわかんなかったもんだから。半年のうちのラスト一ヶ月でカナダとアメリカを電車で横断。向こうの人って日本に比べて休み多いし、笑顔だし。確かに怖い面もあるけど。帰りに中国や台湾も行ったが海外より自分の国の事知ってんのか?良いとこも、悪いとこも知ってんのか?とふと思い、日本を周ることを決意。

帰ってきて地元でバイトしていて、帰りに本屋により何となく忘れかけていた地球環境の本を読む。そしたらこのままじゃ危ないと知り新聞記事から反温暖化論まで読み、考えたのは確かに地球環境はこのままじゃいけない、でも一番まずいのは人間が、いうなれば今の子供達が地球環境について考えなくなることが一番まずい、なんとかなると考えてほしくないなと思って組み合わさったのが

自転車で日本を横断(縦断)して環境メッセージを集めて洞爺湖に行こう!

会場に向かって旗を広げる、それを考えたらワクワクしてていう気持ちもあったけど、そろそろ映像の事も真剣にやりたかったし、長い目で見れば映像で一人前になればたくさんの人が見てくれるしっていう気持ちもあったが地球のことを考えればすぐにでも良い方向にいってほしい問題だし・・・

考えた結果、映像だって簡単じゃないし1、2年で一人前になれるほど甘くないし、その1、2年での環境の変化を考えたとき直ぐにでも、少しでも役にたつかもしれない縦断をすることにした。ある意味約半年が無駄になってもいいや!って気持ちだった。

決めたら行動で周りのみんなに言った「俺、サミットまで自転車で日本横断(縦断)するで!」って

そしたら鹿児島へのバスの出発前日、中学校の仲間が「明日うちの10番が旅立つで集合!」っていってみんな平日にも関らず集まってくれた。

ちなみにFor Earth=For usはシンプルに出会った人にも首脳達にも伝わるフレーズを考え、看板屋で働く友人が旗の文字のデザインをしてくれ、ママチャリで行こうとしていた僕にマウンテンバイクを違う友人が貸してくれた。

前フリ長かったけど、子供の頃の環境がもともともっている性格を変えたりするから旅前はこんな感じでしたってことでさあ、鹿児島に到着し日本横断(縦断)・環境メッセージの旅が始まったわけです。

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2008年7月 8日 (火)

はっぴーエンド-北海道・洞爺湖-

7月6日に旗を大きく掲げ、首脳達がチラ見し(たと信じているが)

7月7日にサミットが始まり開幕と同時に洞爺湖町サミット現地本部にて旗を広げ、洞爺湖町役場の人がメディアにFAXを送ってくれ、到着の様子を北海道地元紙やNHKの全国放送にのせてもらい、札幌行こうかなーって思ったら北海道放送の人が
「明日生放送洞爺湖であるけど出る?」と言われ、もちろん出ます!と答え、

7月8日は僕、誕生日でそれ以上に大事な温暖化対策の問題が話し合われている洞爺湖の湖畔で生放送出ちゃいました!ウィンザーホテルと洞爺湖を背に旗を広げインタビューを受けれるとは…みなさんへの感謝が第一、そんなみなさんの思いが伝わってサミットを有意義な会議にしてほしいなー。って本当にそう思ってインタビューでもそのまま話をしました。

これで色々な角度からウィンザーホテルに旗を掲げることができました。

あとはみんなでサミットの成功を願い、そしてこれをきっかけに一人一人がゆっくりでいいからもっと地球の事を考えた生活ができるようにしたいですよね!

明日、ゆっくりしながら旅を通して感じた事を夜にでも頭で整理しながら得意の感覚的に書きたいと思います。

(写真・洞爺湖畔にて)

Sawa

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2008年7月 7日 (月)

面白いよね-北海道・洞爺湖-

北海道洞爺湖サミットが始まった。

僕は・・・旗を洞爺湖町のサミット現地本部に届けることにした。

たまたま洞爺湖町で会った井上さゆりさんっていう、ヒッチハイクで日本一周中で環境のこと伝えながら同じようにメッセージ集めてる人と会って、それぞれのメッセージを今日届けた。

面白いよね、同じ思いで同じようなことして、たまたま出会うっていう偶然。洞爺湖町役場にお互い最近電話して、紹介してもらって。

で、今日はお互い無事旗を届けることができたと。

ということでその様子今日14時過ぎよりNHK総合で全国放送?かも!見てね。

http://d.hatena.ne.jp/sacchin_niko/(その元気に圧倒されっぱなしの井上さゆりさんの日本一周ブログ)

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サミット前日-北海道・洞爺湖-

ある人から聞いた話によると、

サミットはサミット以前にほぼ全ての結論が事前の話し合いによって終わっておりサミットは形式に近いものであると・・・

じゃあこの旗の意味は?

そのサミットを有意義にし、僕らの未来を少しでもよくしてもらいたい。

地球に生きてることを忘れずに・・・

僕らはぼくらでできることをするという宣言。

for Earth = for us

それを僕らの国・日本から発信する!

そんな熱い気持ちを密かに持ちつつ昨日、やっと洞爺湖サミット会場近くで広げることができた。

たまたま知り合った洞爺湖町の人の畑仕事を手伝いながら、地元民つながりで紹介してもらったのが会場が見える展望台の屋根に昨日広げさせてもらった。

サミットが始まる直前でG8も続々来日。

もちろん厳重な警備の中で広げること自体も運がよかったのだが、何と旗を広げている時に下の写真にも写っている道を福田総理が通り、何かここまでやったんだなーって思って、天気もよくて屋根に寝転んでいたら、ほんとに近くをヘリコプターがぐるぐるしていて、後から聞いたらそれブッシュ大統領が乗っていたというではないか。

やべーいろんな人チラッとでも見て、サミット頑張るかって思ってくれたらこれってそれだけでやってきた甲斐があるってもんで・・・

ほんと近くをヘリや車が通ったんですよ!道も少ないしね。

また今日いろいろやるけど、というか今日形的にはゴールだけど、今日精一杯やりきりたいと思う、また報告します!

この写真はどうしても撮りたかった一枚だから嬉しいな、ほんとうに・・・みんなに感謝。

(写真、旗と私とウィンザーホテル)

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2008年7月 3日 (木)

地元民に-北海道-

北海道に入ってからツーリング洞爺湖の人達と別れ再び一人旅が始まった。

そして函館から約150キロ、ついについに洞爺に着いた。

検問でかばんの中身全部出させられたりはしたがしょうがない、僕も安全に終わって欲しい。

そんな感じで明日洞爺湖町の隣の伊達市役所で地元新聞向けに旗を広げる。

ちなみに今日はたまたま知り合った人の畑仕事を一日中手伝った。おまえそれどころじゃないだろう、もっとサミットに向けて頑張れ!ってお思いの方、僕は運がいいみたいです。ただの畑じゃない、洞爺湖町のサミットが行われるホテルが見える畑で今日はキャベツの収穫をしておりました。

勘のいい人ならわかるはず、これがどういうことか!!!

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2008年7月 1日 (火)

目的地だけど…-北海道-

北海道についた。

やっとという感じはあるが北海道行きの船に乗る前六ヶ所村から一緒に走っている洞爺湖ツーリングの人達と一緒に"アサコハウス"というところを訪ねた。

小笠原厚子さんやその兄弟が今は亡き母の熊谷あさこさんの家を守っている。

国?企業?よくわからんけどアサコハウスは青森の先端に位置する最高級のマグロがとれる大間というところがありここにも原子力発電所が作られるという。

もちろん原子力発電所ができれば魚のピラミッドの頂点のマグロに被害が及ぶ、既に青函トンネル工事で被害は出ているが原子力発電所は何より被害が出る。

極端な例が水俣病だ。

周りの住民がお金や脅迫によって立ち退きを迫られ立ち退いた、今はアサコハウスだけになった。

町長もマグロより原発をとったと言っているみたいだ。

厚子さんのお母さん、あさこさんは30年近く立ち退きを迫られあらゆる人(想像に任せるが本当にあらゆる人)から嫌がらせを受けてもいくらお金を積まれても海を汚さない為に立ち退きを拒否してきた。

この話を聞いた時にありがとうございますって思った。

そんな人達がいたから僕らは今でも大きな放射能の事故が起きずきれいな海を見、美味しい魚を食べられているんだと感じた。

厚子さんは北海道行きの船が出るのを見送ってくださった際僕に

「これからはあなた達の時代だからね」

と言われ、僕は

「本当にありがとうございます、もう少し頑張って下さい」

と言って別れた。

北海道に今着いたが厚子さんにすぐに協力できることはないかもしれない、でも直ぐにできる小さな事もある。

船の中で色々考えたらすごく悲しくなってきた。

北海道についた今喜びはない、厚子さんのメッセージを届ける事が僕のできる最初の一つだ。

(写真。あさこさんとあさこさんの言葉が載ったカレンダー)

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